ジャンボ鶴田のフライングボディシザース
プロレスラー偉人伝シリーズ ①
ジャンボ鶴田。永遠に語り継がれるプロレスラーの一人と言ってもよいでしょう。そんな鶴田さんが亡くなって早や20年。公式プロフィールでは、身長196㎝、体重127㎏(ピーク時)。令和の時代でも十分怪物級のデカさですが、昭和の時代であれば尚更です。このデカさで、今のオカダカズチカばりのドロップキックを繰り出すわ、平気で60分時間切れのマラソンマッチをやらかすわ、先輩であろうと格上の相手であろうと、己のマイペースは絶対に崩さずトンパチぶりを発揮するなど、存在そのものが反則級とよく言われていました。
そして鶴田さんは、練習嫌いで名が通っていたのにもかかわらず、できない技は無かった言われています。パッと見ただけで、コツがつかめていたそうです。であるならば、練習嫌いというよりかは、練習する必要がなかったという事ですね。ただ、唯一、できるにはできたけど、驚くくらいに下手くそだった技が、このフライング・ボディシザースでした。
本当は一撃必殺!!の隠れた必殺技
ジャンボ鶴田さんの試合映像を見られるのであれば、是非見ていただきたいのですが、どの試合のフライング・ボディシザースも、まあそれは、お粗末なくらい下手くそです。
相手をロープに飛ばしてからの一撃や、相手に向かって自分から走り込んでいってのカウンターなど、バリエーションは多々あるのですが、まずどれもキレイに決まりません。敢えてそうしているのでは?と、勘繰ってしまうくらいです。そう、若かりし頃の松田聖子が、生来の歌の上手さが、アイドルらしからぬとして、敢えて下手くそ風に歌っていた!?かのように。
鶴田さんはそうでなくても、ただでさえ時折、余裕をかました、自分を強く見せてしまう装いをしたオーバーアクション的な技を出します(ニーリフトを決めた後に、ひざを上げ下げしたり。エルボースマッシュの後に、片ひざをついたりなど)。ま、それが鼻についたりするのですけど。フライング・ボディシザースも、その技の一つかなと思われてしまいますが、どうやら、本当に下手くそっぽい感じがします。
ただ、ズバッとキレイに決まれば、まず間違いなくピンフォールを取れる技であることは確かです。
唯一、人間臭さを感じさせる技
そもそも、フライング・ボディシザースという技なんですが、開発したのはルー・テーズとされているのが有力です(諸説あります)。
棒立ちになった相手の正面からカウンターで跳び箱を跳ぶ要領で、相手の肩辺りをつかんでジャンプして、同時に両足を大きく広げて全体重を浴びせるのが基本型です。ジャンボ鶴田さんの場合は、相手をロープに振る事によって、よりダメージを増やす狙いがあったと思われます。テーズ式のカウンターバージョンを出すこともありますが、こちらは流れを変えたい時に、意表を突く感じで使っていました。なので、ロープに振ってからバージョンを好んで使っていたフシがあります。同様にロープに振ってから決める『ご存知』ジャンピングニ―パットのどちらかなのかを相手に迷わせる意味でも、効果的に使っていたのかもしれません。ただ、ロープに振るという「ため」があったため、ジャンピングニーパットと違って相手との間に距離ができるというのもあって、読まれやすく、スカされたり墓穴を掘ったりというのが多くみられる技でもありました。この辺に、鶴田さんのフライング・ボディシザースが下手くそに見えてしまう一因があるような気がします。
他の技は、たとえ失敗したところで、鶴田さんの場合、必ず、BパターンCパターンと、先の先を考えて相手に流れが向いてしまったとしても、技を受けつつ、自分の流れにいずれ戻せるという余裕があるように感じられるのですが、このフライング・ボディシザースの失敗だけは、ズルズルと敗戦濃厚パターンに陥ってしまっていたのは確かです。それはまるで、松田聖子が、ベストテンで1位を取らなかった時のスタジオの微妙な空気にも似ています。
どこか余裕のある試合運びだったのが一転、このフライング・ボディシザースを出した途端にバタバタ感に満ち溢れ、何とも落ち着きがなくなってしまう鶴田さん。「人間・ジャンボ鶴田」が垣間見える瞬間でもあるのですが、逆に言えば、唯一、人間臭さを感じさせてくれた技であるとも言えます。じゃあ、出さなきゃいいのに。と、思うかもしれませんが、それでも出ししてしまうところが、ジャンボ鶴田のジャンボ鶴田たる所以なのであります!
忘れられない名勝負。VSカクタス・ジャック戦
ジャンボ鶴田のフライング・ボディシザースで、忘れられない試合といえば、1990年6月の対三沢光晴戦です。
この一戦は、全日本プロレスが、天龍源一郎以下、所属選手の半分近くが新団体設立に向けてゴッソリ抜けた直後に行われました。全日本プロレスは、興行はおろか、団体そのものの運営のピンチにまで陥ってしまった中でのまさに、最後の切り札的カードでした。それはまるで、松田聖子が、それまで所属していた事務所をスタッフを引き連れて独立するようなものです。残された側は、必死にならざるを得ない状況だったわけです。
この試合で鶴田さんは、いくら成長著しくて勢いもある三沢の追い上げとはいえ、最後はビシッと『オー!』で勝ち名乗り。全日本プロレスのエースであり看板のジャンボ鶴田ココにあり!と見せたかったところでしたが、あろうことか、負けてしまいます。しかも、敗因がこのフライング・ボディシザースの失敗なのですから、手の施しようがありません。皮肉なことに、この試合の勝利をきっかけに、三沢光晴の人気とカリスマに火が付いて、三沢率いる超世代軍がムーブメントとなり、全日本プロレスは一気に息を吹き返していく事となります。ある意味、歴史を塗り替えたフライング・ボディシザースと言っていいでしょう。
この試合でのフライング・ボディシザースは、まさに終盤でのここぞの時にしか鶴田さんは出していません。見方によってはドロップキックかな?とも見える微妙な距離感で、鶴田さんは三沢に飛びついて案の定、トップロープに股間をぶつけてしまいます。試合はやはり、この辺りから急に鶴田さんはドタバタし始め、形勢逆転、三沢に軍配が上がります。
こういうような大事な場面で、鶴田さんは昔から技のチョイスを失敗してきました。残り時間10秒でのボストンクラブや、場外での四の字固めなど…。なので、この試合でのフライングボディシザースも鶴田さんらしいと言えばらしいのですが。それでも、強いジャンボ鶴田のブランドと伝説は弱まるどころか、むしろどんどん高まっているのですから、ジャンボ鶴田の不思議なところです。
ちなみに、鶴田さんの強さを改めて再認識させてくれる試合として、1991年のチャンピオンカーニバル公式戦、VSカクタス・ジャック(ミック・フォーリー。後に、WWEでブレイクしたマンカインド)戦をおすすめします。
これぞ、「THE・鶴田」という、鶴田さんらしさが全開された試合といっていいでしょう。フライング・ボディシザースは残念ながら出ていませんが、それ以外は、ジャンボ鶴田のジャンボ鶴田によるジャンボ鶴田のための試合として堪能できます。
今、使ってもらいたいレスラー
現在のプロレス界で、フライング・ボディシザースを使っている選手は数多くいますが、自分の技として使いこなせているかというと、残念ながら皆無と言っていいでしょう。ジャンボ鶴田でさえも、そうであったように、この技は、難しい割りに、見た目や威力がそれほどでもないために、敬遠されているのかもしれません。しかし、逆に言えば、必殺技にまで磨き上げて昇華させれば、唯一無二の技にできるチャンスでもあるワケです。そう、松田聖子がカヴァ―した曲は、どれも原曲を凌駕して、松田聖子オリジナルになるように……。
ここでは、そんなフライング・ボディシザースを光らせてくれるのではないかというレスラーを取り上げたいと思います。
棚橋 弘至
技をリバイバルするという意味では、棚橋弘至には、フライング・ボディシザースは、是非使ってもらい、必殺技にまで磨き上げてもらいたいです。そして、現代プロレスの最新トレンド技にしてほしいです。現役レスラーで業界の外にまで発信できる代表選手と言ってもいい棚橋ですから、フライング・ボディプレスを「ハイ・フライフロー」としてオシャレな技の代名詞になったように、フライング・ボディシザースも、温故知新、別名に改称して、世間に向かって波及させてほしいものですね。フライング・ボディシザースの威力や素晴らしさを改めて再認識させられるのは、棚橋弘至をおいてほかにいません。
諏訪魔
デビュー当初は、その風貌とバックボーンなどから「ネクスト・ジャンボ」と言われ、良くも悪くもジャンボ鶴田二世的なイメージのあった諏訪魔でしたが、今では完全に、いちレスラーとしてのポジションを確立し、業界を代表するレスラーの一人です。そんな諏訪魔にこそ、改めて、このフライング・ボディシザースを単なるつなぎ技でなく、一撃必殺の恐怖技に磨き上げてほしいです。
そもそもフライング・ボディシザースは、背が高く、手足も長い選手が使ってこそ、いわゆる『映え』があるわけで、その点、諏訪魔は体重もある事ですし、見栄えも説得力も十分に兼ね備えていると言っていいでしょう。正にフライング・ボディシザースを使うにはもってこいの選手であるワケです。うってつけです。
ジュニアヘビー級の誰か
技の見た目の重厚感と迫力という観点からか、フライング・ボディシザースをジュニアヘビー級の選手たちは、どこか敬遠しているように見受けられます。そこを敢えて逆手にとって誰かが空いてる席に一番乗りで手を挙げてほしいです。
跳べるジュニアヘビー級の選手が使うとなれば、相手に当たる前に、空中でクルクルと回転したりひねりまくったりだとか、トップロープからド派手に決めるとか、フライング・ボディシザースの進化版として魅せてほしいです。
フライング・ボディシザース自体がまだまだ未開拓なところがありますので、自分色に染め上げていってほしいです。
ジャンボ鶴田 ㊙エピソード
最後に、亡くなって20年近く経ってもなお、最強説が消えてなくならないジャンボ鶴田。それをより確固とするエピソードというか、半分都市伝説っぽい話を紹介しておきます。
ジャンボ鶴田さんが高校生の頃、故郷の山梨県でバスケットボールに打ち込んでいた中、たまたま高校のグラウンドで、部活仲間と遊び半分でトラック内を走っていたところを、偶然、そこの陸上部を視察に訪れていた日本陸連のスタッフが、その鶴田さんの走っている姿を見て、「コイツは100m9秒台を狙える!」と一目惚れし、即座にスカウトしたそうです。が、鶴田さんの凄いところはここからです。陸上部の顧問からスカウトの旨を伝え聞いた鶴田さんの答えは、「陸上って食っていけないからイヤです」……。確かに鶴田さんが高校生の頃の当時(1960年代)は、日本だけでなく、世界的にも陸上競技そのものが、明確なプロ化となって、お金を稼ぐという競技でなない状況ではありました。鶴田さんは、いくら世界記録だ、日本人初の9秒台だと言われたところで、それだけでは食べていけない、生計は成り立たないと見越しての即答だったのです。
後に、鶴田さんは大学卒業後、全日本プロレスに入団した時の記者会見で、「僕は全日本プロレスに就職します」という名言を明るく堂々と言い放ったのはあまりにも有名です。同席していたジャイアント馬場が、あ然としたのち、思わず吹き出したくらいです。
当時の日本の各アマチュアスポーツ界は、この鶴田さんのプロレス入りを相当悔しがっていたと言います。どのジャンルに行ってもその世界に即通用するアスリートに成り得る逸材をよりによってプロレス界に取られてしまったわけですから。これはある意味、鶴田さんはどこの世界でもどんなジャンルでも、何をやってもトップになれるという事を証明したと言っていいでしょう。それは、松田聖子が、ポップスだけでなく、ジャズであろうとロックであろうと、果ては、演歌であろうと、何を歌っても、全ての聴衆を魅了してしまうように。
今回紹介した、ジャンボ鶴田のフライング・ボディシザース。こんなジャンボ鶴田さんだからこその技であると踏まえた上で、改めて見直してほしいと思います。